文献要約:五味渕典嗣(2006)和歌をめぐるジェンダー構成 浅田徹・勝原晴希・鈴木健一・花部英雄・渡部泰明(編)『帝国の和歌』 岩波書店 p.88-89.
①
問い:一般に"短歌革新"の担い手とされる二人の書き手(与謝野鉄幹と正岡子規)が、一方(鉄幹)は自身のマニフェストに「現代の非丈夫的和歌を罵る」という副題を付け、もう一方(子規)は『古今集』を尊んでいた過去の自分を悔やむ文脈で「あんな意気地のない女にばかされて」いた、と書き付けたのはなぜなのか?
⇒ジャンルとしての短歌の自立――〈和歌〉からの意識的な切断――を目指す試みが、日清戦争期という歴史的条件の下で展開されたこととかかわっている
②
一つのヒント:『帝国文学』に載った小文「和歌の題目」(1895.8)
・「雄壮奇矯」な漢詩が〈男〉たちの戦場での叙事を担当し
・「和歌」は、〈女・子ども〉への「同情」をうたいあげる
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ジャンルとしての「和歌」が表象する内容を、〈女性的なもの〉として否定的に言及して見せる言説は萩野由之「小言」(1890)以来の和歌改良論の定型だが、
注意したいのは
これとよく似た語りが、すでに
〈漢〉=中国(清/志那)=「雄壮」
〈和〉=日本=「優美」
というかたちで、それぞれの国民文化・文学の特質として記述されていたという事実
文化をジェンダーの比喩で語る行為はそれぞれの文化と性を一枚岩的な表象に綴じ込むイデオロギーにすぎない。しかし
問い:まぎれもなく表象上の戦争でもあった日清の衝突が、従来の〈和〉と〈漢〉との区分けにいかなる揺動をもたらしたのか?
③
日清戦争期の新聞や雑誌は、日々の戦況報道や論説記事の中で、
勇敢で気骨があって男らしい〈日本〉と、そうではない〈清/志那〉という地政学的な自認の言説を偏執的に繰り返していた。
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②の言説と照らしたとき
ネーションとしての〈日本〉の文化的な固有性を確保するために作り出された語りと、現実の戦争を了解可能なものとする行為遂行的な語りとの間で、無視できない齟齬が生じる
④
鉄幹:〈男らしく〉行為したという内容のレベルを過剰なまでに前景化することで、形式をめぐる定式化されたイメージを、できるだけ読み手の意識から遠ざけようとした
⑤
「和歌の題目」において、「和歌」と「漢詩」とが同列に扱われていたことも重要
子規:
形式としての「和歌」自体は価値中立的で、その中の要素として、従来の歌ことばと、「漢語」「洋語」がある、という発想が成り立っている。
=〈漢〉を外部化した上で、あくまで詩形の構成要素として接合し直す。もしくは、〈和〉のみならず、〈漢〉や〈洋〉も受け止める器として、三十一文字の形式を意味づけ直す。
鉄幹⇒女性的だとされた〈和〉の抑圧
子規⇒女性的だとされた〈和〉の記憶の排除・消去
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一方には
・〈漢〉=中国(清/志那)=「雄壮」
・〈和〉=日本=「優美」
としてそれぞれの国民文化・文学の特質を記述していた旧来の言説がある。
もう一方に
・勇敢で気骨があって男らしい〈日本〉と、
・そうではない〈清/志那〉
という、日清戦争を遂行するための地政学的な自認の言説がある。
その両者を共に視野に入れてしまった者=鉄幹と子規がどのようにアポリアに対処したかという論。
鉄幹は時代錯誤な〈男らしい〉行為(e.g. 国を思い、剣を撫し、酒をあおいで世を憂い、無為の自分を嘆く)をしたという内容のレベルを過剰なまでに前景化することで、形式をめぐる定式化されたイメージをできるだけ読み手の意識から遠ざけようとした。
言い換えると女性的だとされた〈和〉を抑圧したということ。
もう片方の子規は形式としての「和歌」自体は価値中立的で、その中の要素として、従来の歌ことばと、「漢語」「洋語」があると解釈する方法を取った。
別の言い方をすると〈漢〉を外部化した上で、あくまで詩形の構成要素として接合し直す。もしくは、〈和〉のみならず、〈漢〉や〈洋〉も受け止める器として、三十一文字の形式を意味づけ直す。
筆者はそのことを〈和〉の記憶の排除・消去と説明している。