文献要約:宇佐美毅(1997)坪内逍遥における〈詩歌〉と〈小説〉 野山嘉正(編)『詩う作家たち:詩と小説のあいだ』 至文堂 p.30-41(前編)

宇佐美毅は現・中央大学教授(本論執筆時は助教授)。

第一の研究テーマは明治期小説の表現研究。第二テーマは現代小説の研究。

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第一章では逍遥の『小説真髄』が「美術」の目的を明示し、その中で「小説」・「詩歌」いずれもの改良を射程に収めていたことが示され、しかし第二章で逍遥は「詩歌」が「小説」に取って代わられていくと考えていたことを書いている。

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※囲み数字は段落番号を指す

 

一 初期坪内逍遥と「詩歌」の改良

 

①-②

『小説真髄』の出発点は、「小説」をすべての芸術(「美術」)のひとつとして位置づけたことである。

⇒美術といへる者はもとより実用の技にあらねば只管人の心目を娯しましめて其妙神に入らんことを其「目的」とはなすべき筈なり(…)

⇒上述のように「美術」を定義すれば、有形(例:絵画・彫刻・嵌木 etc.)・無形(音楽・詩歌・戯曲 etc.)の違いはあるものの、本質的には「目的」を同じくする「美術」のひとつひとつとして考えることができる。

⇒もちろん小説も詩歌も同様であり、同時代的にこうした宣言をしたことの意味は極めて大きい。

 

③-④

同時代の『新体詩抄』作者たちには、「詩歌」も「小説」もすべて、本質的には目的を同じにする「美術」のひとつであるという逍遥の持っていた芸術観が欠けていた。すなわち、「詩歌」「小説」とは何かという本質論を欠いたまま、もっぱら実用的な意味での「改良」が推し進められてしまった。

そのことを考えあわせてみるならば、『小説真髄』は「小説」の「真髄」のみを論じるに留まらず、芸術全体を評価し直す試みという重要な意味を持っていたはずである。逍遥は小説改良論と同時に詩歌改良論でもあった。

 

二 「詩歌」から「小説」へ

 

⑤-⑥-⑦

しかし、「小説」と「詩歌」を「美術」のひとつとして位置づけ、その「主髄」「主脳」を同じものと考えていたからと言って、もちろん、逍遥が両者をまったく同様のものとして見ていたというわけではない。

逍遥は「詩歌の改良」なる詩歌論で「詩歌」も時代の要請によって変わらなければならないことを述べている。

 

問い:それでは、「文明の世」における改良された詩歌とは何か?

⇒逍遥は文明の詩歌とは「真成の小説」であると断言する。

「詩歌は即ち小説なり小説は即ち文明の詩歌なり」

⇒「詩歌」から「小説」への移行。その結果として「小説」こそが当代唯一の文学となることを逍遥は少しも疑おうとしていない。

 

問い:だが、それでは何故「詩歌」は「小説」に取って代わられるのか?

⇒逍遥はそれを「詩歌の改良」なる文章では詳述しておらず、検討は『小説真髄』に引き継いでいる。

 

⑩-⑪

問い:それでは、逍遥の「詩歌」観に関連する『小説真髄』の内容とはどのようなものか?

⇒詩歌:過去・短さ・単純・不自由

小説:現代・長さ・複雑・自由  のように二項対立的に捉えて論理を展開している。

そのような認識のもと、「小説」の圧倒的優位性、そして「詩歌」が「小説」に取って代わられていくという過程が、逍遥にとっては自明のこととして論じられる。

 

このような逍遥の主張を現代から見て、それがあまりにも単純すぎると批判することはやさしい。しかし、現代からかえりみて、近代における文学なるものが出発しかけたに過ぎない段階で、近代を「小説の時代」と規定した逍遥の発想はけっして軽視してはならない。実際に、近代はかつてない「小説の時代」になっていったのであり、伝統的な和歌や漢詩が、少なくとも小説に玉座を譲った時代であることを考えれば、逍遥の認識はやはり正しかったのである。

 

(後編に続く)

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詩歌が小説に玉座に譲ったことはわかるが、なぜ譲位が生じたのか。

これについて詳述している文献をまだ見つけられていないが、どこかにあるのだろうか。